闇夜(やみよる)26

 1週間もあればこんな争いは収まるだろう、北日本連邦などという馬鹿げた妄想染みた国など消え去ってしまうだろう――という予想はすべて裏切られ、南北に別れた日本列島における紛争は長期戦の様相を見せ始めていた。しかし、圧倒的に優勢だったのは世界から孤立していたはずの北日本の方だった。その要因のひとつとして、函館沖に浮かんだ巨大パイプが生み出す豊富な資源があげられよう。7人の県知事たちは、中国そしてロシアの闇商人たちと密約を結び、無尽蔵のメタンハイドレートと引き換えに食料、兵器、そして傭兵を得ていたのだ。無論、その影にはセルゲイ・オマンコーノフの存在がある。北日本連邦は富んだ。まるで千数百年もの昔に存在した奥州藤原氏治世下の栄華が蘇ったようだった。独立宣言の日に燃えるようにして興った祭の晩から、北日本の人々の誰もが実際の歳よりも20歳は若く見えるほどに生き生きとし、街には物が溢れ、まるでそこには戦時下の様相と言ったものは見当たらない。
「あの日釧路港でオマンコーノフと出会ってから、覚めない夢をみているようだ」
 北日本最大の街である仙台市の一番町に聳え立つ高層ビル最上階から急速に発展していこうとする市街の様子を眺めながら、宮城県知事、上野俊哉はそう思った。北日本の各地では再開発計画が急ピッチで進められている。1軒、2軒と老朽化した建築物は解体され、すでに何軒もの新しい建物の地盤工事が始まっている。


 南からは日夜、北日本の領内へと兵が向けられていたにも関わらず、北日本の領内がこれほどまで素晴らしい繁栄と発展を見せたのはすべて、南北の境界線上へと蟻が入る隙間もないほど固められた北日本防衛軍の尽力のおかげだった。それらはまさに鉄壁であり、あるときは山を越えて、あるときは南日本からの亡命者――驚いたことに“脱南者”と呼ばれた亡命者の数は宣戦布告の日からを増え続け、開戦から1ヵ月で4000人にも登っていた――を装って領内への進入を試みる、南日本の兵士たちを駆逐した。しかし、彼ら北日本防衛軍の大半の兵士たちは、北日本に生まれた人々によって編成された正規の軍人たちではない。むしろ、正規に防衛軍へと所属していたのは全体のわずか2%にも満たず、しかもその2%は皆、補給などの後衛部隊の人間だった。それもそのはず正式に軍が設立されたのは宣戦布告のその日であり、意気高く志願した男たちが実践に耐え得る兵士と成長できるほど時間がたっていなかったのだから。
 彼ら正規の軍人たちに代わって活躍したのは、メタンハイドレートと引き換えに北日本連邦へと身を売った傭兵たち、、オマンコーノフが密かに送り込んだ元ロシア軍唯一の女准将、アナ=ル配下の特殊戦と呼ばれる兵たち、そして戦に乗じて名をあげよう、身をたてようと自らこの地に集まってきた荒くれたちである。彼らは半世紀以上アスファルトの補修がおこなわれていない荒れた道路の上や、視界を塞ぐようにして生い茂った雑木林のなかで眠り、そして南からやってくる向こう見ずな兵士たちの命を奪い続けた。そして、ブルース・ウェインもそのひとりだった――しかし、彼が傭兵とも特殊戦とも、荒くれたちとも違っていたの、彼が戦場に求めたものが血と暴力だけだったことだ。
「あんた、アメリカ人だろう?いいのかい、こんなところにいて。敵の中には、あんたの国のヤツらもいるだろうに」
 ある日、ひとりの荒くれがウェインにそう訊ねた。だが、ウェインが相手に返したのは、歪んだ微笑みだけだった。その表情がウェインが敵のはらわたをめがけてライフルの引き金を引いたり、寸分の狂いもなく相手の眉間へとナイフを投げ込んだ瞬間に見せるものとまったく同じものだとは、荒くれも、ウェイン自身も気づいていない。しかし、アメリカでの生活をすべて捨て、北日本にやってきてから自らのなかにこれまでにない喜びが泉のようにわきあがってくる感覚に彼は日々打ち震えている。暴力によって、相手に痛みを、死を与えることで喜びを得る感覚――まったくの予感によって、吸い寄せられるようにこの地を訪れたウェインのなかで、それが確信へと変わっている。「自分にこれほど人が殺せるとは……アメリカにいた頃は予想もしていなかった」。笑いが止まらない。殺せば殺すほど、力が沸いてくるような気がする。引き金を引くたびに、首筋に快感が電撃のように走る。


 宣戦布告から1年が経過する。


 北での急速な発展とは正反対に南日本は疲弊しきっていた。この1年間で彼らは何も得ることができなかったのだ。それどころか、失い続けていた。兵士たちの命を――戦死者は日米合わせて1万人を軽く上回っている。資源を――“マイク”を奪われたおかげで南日本の自動車のほとんどが走れなくなっている。金を――戦争資金を捻出するために発行した臨時国債によって、20世紀から持ち越した国の借金は3倍にも増えた。国の疲弊は内閣総理大臣木村拓哉の外見にも影響を与えているように思えた。彼はこの1年間で別人のように痩せ衰え、威厳や風格といったものをどこかに落としてきたように見える。1年間、闘い続けてこれた拠り所はもはや意地でしかない。
 しかし、それも風前の灯火になっていた。国会では休戦どころか、終戦協定の調停に向けての議論がおこなわれていたのだ。毎朝、木村は首相官邸のベッドのなかで眼が覚めるたびに思った。「まだ、夢が覚めていないみたいだ」。そして、すぐさま、エネルギー庁長官とともに自殺した前首相の後を引き継ぎ、史上最年少で総理大臣へと抜擢された自分の運命を呪いだしたのだった。終戦協定の調停、それはほぼ敗戦を意味している。敗戦を経験した歴史上2人目の日本国首相として自分の名が残されることの不名誉も木村の目の前を暗くさせた。


 だが終戦協定を持ちかけてきたのは、意外なことに北日本連邦の方からだった。木村は諸手をあげて喜んだ――「敗戦」という2文字をこの国の歴史に、自ら書き加えなくても済むのだ、と。協定を調印する場をすぐに用意しろ、たった1年で灰色になった髪をかきあげながら木村は外務大臣森且行に命じた。しかし、木村はこのとき森が密かに北日本と、というよりもむしろセルゲイ・オマンコーノフと通じていたことに気づいていない。
 開戦から1年と2週間後に開かれた南北会談は、火の7日間の前奏曲として用意されたものに過ぎなかったのだ。