闇夜(やみよる)35

 28種のスパイスをオリジナルにブレンドして作った看板メニュー「ひよこ豆と鶏肉のカレー」は自家製ナンと一緒に食べると絶品!トマトとたまねぎをベースに作っているので、辛いものが苦手な方にもオススメ!と鳥取市内のOLの間で評判だったカレー・ショップ「シャマラン」を経営していたデンマーク系インド人、サヴィトリ・ヘルツ・ボーマンシュタイン・シャマランが途方に暮れていたのは、近頃話題のバットマンに10年続けていた店を徹底的に破壊されてしまい見事に生活の基盤が崩壊してしまったからだった。バットマンによって叩き割られたガラスの破片のようにシャマランの生活の術は破壊され、彼は行き場を失ったのだ――6000枚を超えるゴアトランスのアナログ・レコードを保有していたこともあり、鳥取市内のクラブ「フロム・ダスク・ティル・ドーン」で月に一度「シャマラン☆ナイト」というイベントを開催する人気DJとしても活動をしていたのだが、そこで得られる収入はカレー・ショップで得られるものの100分の一にも満たず、とてもではないがセルシオやマンションを購入した際のローンを返済するには足りなかった。第一、6000枚のレコード・コレクションも売り払っていたため、彼はもうターンテーブルに載せるものを持たなかった。
 シャマランは、鳥取市内のいまや彼と同種である行き場の失った人たちがそうしたように、自然と地下へと潜った。ジオフロント――戦後直後の復興事業の根幹を成した鳥取市の地下300メートルに建造された巨大地下都市――にある、さまざまな抜け穴・隠し通路の類では地底ホームレスが生活していおり、シャマランもその一員となったのだ。半ば野生化した地底ホームレスは「バーサーカー」と呼ばれ、しばしば一般人の居住区に現れては人を襲い、食物などを奪った――あるときなどは殺した人間の肉を貪ったこともあるという。それゆえバーサーカーたちは大きな社会問題として扱われていたのだが、文字通り狂人同様であるはずの彼らがまるで組織化された軍隊のように動き、抵抗するおかげで、全日本軍もその扱いには手をこまねいていた。だが、彼らの存在は他の正常な(!)地下ホームレスたちにとっては好都合だった。彼らが守護者のように地下を徘徊していたおかげで、政府もうかつには手を出せない(不思議と彼らは地下ホームレスたちを襲うことはなかった)。だからこそ、シャマランも地下に潜って生きることができたのだ。
 地下には何もかもが揃っていることにシャマランは驚いた。食料は大抵が廃棄された残飯の類だったが、運が悪ければ腹を壊す……といった程度の状態で手に入り、水、電気、ガスも揃っており、電波状況の良いところであればインターネットにさえ接続できた。そこには経済さえ存在した――地下ホームレスたちはどこかから拾ってきた物品を互いに交換しあっていたのである。そこには古いレコードばかり集めてくる風変わりな男などもおり、その男が全日本では手に入れることができないはずの三上寛作曲による北日本国家の7インチを持っているのをシャマランは見た。もっともさすがにまともにそこから音楽を再生できる機材などはなかったが。
 しかし、そこでの生活は退屈極まりないものだった。とにかく生活に必要なものであれば、なんの問題もなく手に入れることができ、しかも、金を払う必要さえない。地下空間に漂う腐臭(なんの臭いかは誰も知らなかった)にさえ慣れれば、地下ホームレス生活はユートピアのようだった。問題はそこで有り余った時間をどうやって食い潰せば良いのかシャマランには分からなかったことだ。地下が地獄だったほうが、まだマシだったかもしれない。シャマランはそう思い、幼かった頃に母であるソナリ・イングリット・ボーマンシュタイン・シャマランの膝の上でデンマーク語訳児童版『神曲』を読み聞かされた記憶が不意に蘇った。
 ある日、シャマランは国立図書館の書庫へと繋がる通風孔を発見する。その日から、彼は1日の大部分をそこで過ごすようになった。サルトルの小説の登場人物のように書架にあった本をアルファベット順に読んでいくことが、死ぬまでの暇つぶしになるのかもしれない、とシャマランは思ったが、はやくもAの途中(アンデルセン)でその不毛な行為に飽き始めていた。だから、逆に彼は本を書き始めた。それは忘れていた自分のもう1つの顔を取り戻す作業だった――カレー・ショップの経営者と人気DJの2足のわらじをはく多忙のなかで、シャマランは作家を志していたことをすっかり失念してしまっていた。「村上F春樹」。それが彼のペンネームだった。
 地下の生活には、昼と夜という時間の感覚は一切存在していなかったが、書庫に誰もいなくなった頃合を見計らって、そこでシャマランは作品を生み出し続けた。短編ならいくらでも書けた。奇想が万華鏡の煌びやかな輝きのようにうごめく作品を彼は書き続け、そして、ある程度作品がたまってきたらそれらは一冊にまとめられた。地下ホームレスのなかには製本職人をやる男もいたのだ。出来上がった村上F春樹の作品はひっそりと書架へと収められていった。もちろん読むものなど現れないだろうが、ある種のテロリズムをひっそりと行うような犯罪的愉しみがそこにはあった。
 村上F春樹の5冊目の短編集が書架に収められた頃、シャマランは地下ホームレスの間で「嘘つき先生」と呼ばれる1人の男と出会った。イプセン肖像画にあるような銀縁の丸いメガネをかけ、右腕を黒い革の手袋で隠したその男の風貌は、一見して地下ホームレスとは思われぬものだった。どこでクリーニングをしているのか、いつも彼は型崩れなど一切ないスーツで身を固め、そして誰かを捕まえては長々と「歴史」について話した――ある事情通の地下ホームレスによれば、地下に潜る前の嘘つき先生はホンモノの歴史の先生だったが、突然狂気に傾いて生徒たちに嘘の歴史を教えるようになって職を失い、そして今ここにいるのだ、ということだった。
 シャマランもまた嘘つき先生の話を聞いた。それは25年前にはじまり、15年前に終わった戦争の歴史だった――しかし、嘘つき先生が言うことは、全日本の人々が教えられた歴史とはまったく異なっていた。表の歴史には、セルゲイ・オマンコーノフなどという富豪のロシア人の存在は現れない。シャマランも嘘つき先生が語る歴史をまるごと信じようという気持ちは一切持たなかった。ただ、彼の話は面白かった。たとえ、狂気が物語らせた歴史であったとしても、嘘つき先生の話はどんな小説よりもシャマランを興奮させた。シャマラン――いや、村上F春樹が、嘘つき先生の話を長編小説へと昇華させようと思い立ったのは自然な流れだったかもしれない。
 しかし、嘘つき先生の話は途中で終わっていた。旧都を壊滅させた火の7日間以降の9年余りの戦争史を彼は語ろうとしなかった。彼が単に知らなかったのかもしれないが、嘘つき先生による歴史は火の7日間までが語り終えられると、また戦争の発端となった函館沖のメタンハイドレート採掘事業まで戻るのだった。必然的に村上F春樹初の長編作品の完成は訪れなかった。
「嘘つき先生の話を本にしてるっていうのはアンタかい?」
 そこに1人の男があらわれた。
「ええ。アナタは誰です?」
 正体不明の男――といっても地下ホームレスの多くは正体不明なのだが――に、シャマランはそう言った。対していたのは異様な風貌の男だった。使い古されたモップのような髪型のせいで男の顔を伺うことはできなかったのみならず、薄汚れた服から露になった体の部分にはいたるところに醜い傷があった。
「俺か?まあいいじゃないか。ここじゃ、誰が何者かなんて大して意味はないんだからな。そうだな、さしあたり俺のことは『歴史』とでも呼んでくれ」
 男がそう言ったとき、シャマランは男の顔を覆う髪の毛の隙間から蒼い目がこちらを覗いているのを認めた。