闇夜(やみよる)23

Come writers and critics who prophesize with your pen
And keep your eyes wide the chance won't come again
And don't speak too soon for the wheel's still in spin
And there's no tellin' who that it's namin'
For the loser now will be later to win
For the times they are a-changin'
(Bob Dylan - The Times They Are A-Changin')

 秋田県知事、加藤鷹による「北日本連邦」の正式な独立宣言、そして「南日本政府」に対する宣戦布告を受けての各国の反応は冷ややかなものだった。まず、アメリカ合衆国――「同盟国日本の内部に国家を自称するテロリストが出現したことはまことに由々しき自体である!」――南米移民系アメリカ人初の大統領、クセノフォン・ブラジレイロ・サンパイオ・ジ・ソウザ・ビエイラはテレビ演説で叫び、横須賀・沖縄・佐世保などに駐留する空海軍の主戦力をすぐさま北へ向かわせた(しかし、その戦力には三沢飛行場に待機していたはずの26機の戦闘機はは含まれていない。三沢基地は“原因不明のトラブル”によって、数日前から音信普通になっている)。そして、中華民主主義連邦――「北日本連邦などという得体の知れない国家を承認することは不可能だ。我々は過去に受けた屈辱を忘れてはいない」――魔境革命戦争以後、混乱を極めた中国を治め続けた老獪なカリスマ、房祖名はそう呟き、隣の島国で起こった内乱に対して黙殺を決め込もうとした(しかし、密かに鳥取港に向けてスパイを乗せた小型船が上海から出航している)。
 さて、EUは?――そこにはロシアも含まれている。ユーラシア大陸の西部と北の大部分を占める大中小国の国々による連合による経済圏は、いまやセルゲイ・オマンコーノフの掌中といっても良い。彼の影響は絶大だ。
 しかし……EUもまたアメリカ、中国という2大国同様、北日本連邦の独立に承認を与えない――世界の3大勢力が足並みを揃えるのを確認し、インド、ブラジルはおろか、国際連合に所属するすべての国々が北日本連邦の独立に非難の声を浴びせ、南日本政府に対する支援の意思を示した。アフリカに散らばった無数の黒人国家も、カリブ海に浮かぶ小国も、オーストラリアも、東南アジアの国々も……。北日本連邦は孤立した。そして、この動乱も1週間、いや3日も経たずして収束されるだろう。世界はそう予想する。


 独立宣言より50分後、栃木県上空を厚木から出発した米軍の戦闘機F‐32“タイローン”13機が超音速で飛行している。そして、その編隊を追従するようにして重爆撃機B‐21S“スロースロップ”4機。これらはアメリカ合衆国が世界に誇る戦術/戦略兵器のトップ・ブランド、ヨーヨーダイン社がここ数年に開発した最新にして最強の飛行部隊だった。搭載できるだけの火気を最大限に積んだ各機のパイロットたちは、無謀なテロリストたち(つまり7人の知事たちのことだ)を殲滅せんと高度3万メートルの空の上でいきり立っていた。
「こちら先頭の“マイルス”。聞こえるか、“ハービー”?あと3分で福島県境を跨いでクソ北日本の領空内だ」
「こちら“ハービー”。無線の感度はバッチリだ、クソ!サンフランシスコの浜辺で引っ掛けたヒッピー女みたいに濡れ濡れだぜ」
「“トニー”から“ハービー”へ。まったく有事だってのにいい気なもんだ。ウカウカしてると自慢のシロモノもろとも、このクソ山んなかに落っこちて燃えちまうぜ?」
「こちら“ロン”。堅いこと良いなさんなって。ここいらには対空配備なんかまったくないんだろう?楽勝だぜ。早いとこドンパチやって、このカワイコちゃんのお腹を空っぽにさせちまおうぜ。なぁ、“ウェイン”」
「…………」
 “ウェイン”からの返答はない。
「こちら“ロン”。“ウェイン”、退屈して居眠りしてやがるのか?」
 “ロン”に乗り組んだパイロットは、通信スイッチをオンにしたまま、右後方にピッタリと張り付きながら飛行する“ウェイン”へと呼びかける。しかし、そこで“ロン”のパイロットは気づいた。南日本から北日本の領空へと戦闘機13機からなる編隊が侵入しようとした瞬間に、突然あらゆる通信機器が不通になってしまったことに。「なんだ?ついさっきまで感度バッチリだったってのに。どうしたんだ?」。隣り合わせに飛んでいた“ハービー”と“トニー”のパイロットは不思議に思いながら、目視可能なコックピットに向けて互いにハンドサインを送りあった――「ムセンキ チョウシ ワルイ」。
 編隊のどのパイロットも無線の異常に気がついていた。しかし、編隊のリーダー機“マイルス”がそれでも尚、作戦を続行させ北へと飛び続けたのは離陸前に伝えられたミッションがあまりにも易しかったからだ――「相手側の戦力は未知数だが、おそらくこちらの比ではない。もし、敵に戦闘機があったとしても三沢にあるポンコツと、自衛隊の不良戦闘機ばかりで相手にならんだろう」と厚木飛行場の第3作戦会議室で司令官が言うのを“マイルス”のパイロット、ウィリアム・バクスター中尉は聞いた。進路はちょうど東北新幹線のレールを沿うようにして、まず福島の市街を破壊したのちに、1機の爆撃機と3機の戦闘機が本隊を分離(分隊日本海沿岸の街を破壊する)、本隊はそのまま北へと向い、札幌を焼け野原にした後に帰還……あとはノロマな日本の自衛隊と米陸軍が北上するのを横須賀で待っているだけ……無線など必要ない……俺たちには経験と、鉄の軍規がある……それさえあれば楽勝……のはずだった。
 編隊はとっくに白河を過ぎ、郡山を過ぎ……予定通り最初の攻撃ポイントである福島市街が見えるところまで高度を下げていた。しかし、そこでバクスター中尉は、ある事実に気がつく――これまで自分の機の後ろを飛び続けていたはずの僚機がすべて姿を消しているのだ――「何が起きたんだ?」。パイロットは困惑する。


 何が起きたのか。


 12機の“ハービー”も“ウェイン”も“ロン”も“トニー”を含む最新鋭の戦闘機、そして4機の爆撃機は、郡山を過ぎたあたり、ちょうどかつて安達郡と呼ばれた太陽光発電所プラント近くで次々と墜落していた――しかし、超音速で飛ぶバクスター中尉の耳には墜落の爆音と衝撃は届かない。墜落する直前、彼らの機に起こったのは機体をコントロールする電子機器の異常だった。ある機の機銃は、パイロットの意思とは無関係に火を噴き、その手前を飛んでいた仲間を打ち落とす。爆撃機の内部では対地ミサイルが自爆し、地上に多くの鉄屑とウェルダンに焼かれた少々の肉片を撒き散らした。
 困惑しているあいだに“マイルス”のパイロットは、空中へと身を投げだされる――非常用脱出装置が唐突に起動したのだ。そして、座席のシートベルトに締め付けられたままバクスター中尉は3000メートル下の地面へと叩きつけられ、絶命する。座席から飛び出すはずのパラシュートは……作動しない……。
 水風船が破裂したあとのように飛散した肉片と血液のまわりに野犬が群がり、米軍の最新鋭戦闘機乗りの骸を始末しようとしていた。


 これが美嚢猛(みのうたけし)と府鋤真治(ふすきしんじ)というふたりの科学者によって開発された「美嚢・府鋤粒子」の威力だった。北日本の領内に散布されたこの粒子よって、あらゆる電子機器は無効化され、暴走する――数年前、東北大学大学院新粒子研究所から謎の失踪を遂げたふたりの天才科学者たちによって開発されたこの恐るべき粒子によって、100年近く続いていたコンピューター制御による現代戦の歴史は終焉したのである。そこはイージス艦から発射され衛星によって誘導される対地ミサイルも、高性能レーダーも、自動で着弾地点を計測してくれるシステムを備えたハイテク戦車も無意味になった世界――その後、1週間に渡って自衛隊と米軍の合同部隊は北日本領内へと果敢に侵入作戦を続けるものも、技術と情報が無効化された世界において彼らはなんの実力も発揮できず、死ぬ。自衛隊/米軍の上層部が、時代の変革に気がついたとき、すでに極東に終結した軍事力のおよそ3割は消失していた。


 しかし、終焉があれば、また新たなる始まりもある――それまで失われてきた白兵戦の復活である。


 北日本にいる男たちが狂喜する――“マイク”奪取作戦に参加した「魔岩窟拳」の僧侶たちだけではない。そこには世界中から血と暴力を求めてやってきた禍々しい男たちが終結している。犬山組系広域暴力団「影虎組」の小指のない男たちの目がギラギラと輝き、南日本政府に球団を解散させられて以降、地上げ屋として糊口をしのいできた「野村組」の男たちの背中に彫られた金色の鷹が肌に浮かんだ期待の汗で湿りいやらしく光る。彼らは元ロシア軍唯一の女准将、アナ=ルの名の下に組織化され、より一層凶暴化する。
 飢えた獣たちは、負けない。
 そして、その獣たちのなかには、ブルース・ウェインという名のアメリカ人がひとり紛れ込んでいる。