闇夜(やみよる)22

 ピンポーン。ピンポピンポピンポーン。ああ、ああ、連打しなくてもいいよ。今、開けるから。ガチャっと重いドアを開ける。父さんが訪問販売でだまされて買った「原爆の炎を防ぐ鋼鉄の玄関ドア」を開ける。彼女は本当にそこにいたのだった。僕を、僕を救ってくれるために。


−2時間前−
「あーちゃんが、キクリン探せってよろしくー。」
 カンチからのメールだった。あーちゃんが直接僕に連絡してくることはない。いつもカンチ経由。なんでだろう。いわゆるツンデレってやつ??女の子って不思議だな。カンチに適当に返事を打って、僕は深いため息をつく。
 また電脳メガネが鳴り始める。爆音が脳から脊髄まで響き渡りハートをこがす。

Boy meets Girl それぞれのあふれる想いに きらめきと
瞬間を見つめてる 星ふる夜の出会いがあるように

 TRFが鳴ったので、メールじゃなくて通話だ。少し期待をしながらウィンドウを開くと「非通知」の3文字。いったい誰だろう。まだ胸の期待はおさまらない。ロビン、青春生きてます。
「は、はい、羽鳥です。」
「ウィ〜。オレオレ。いやー、こないだはロビン突然帰ってまいっちんグ〜
「……誰?」
「ナニナニ。ロビンまた〜。とぼけちんグ〜。あ、とぼけてるのって意味ね?」
 なにかわからないけど、嫌な予感がしたので僕はためらわず電話を切った。

Boy meets Girl それぞれのあふれる想いに きらめきと
瞬間を見つめてる 星ふる夜の出会いがあるように

 間髪入れずにTRFが鳴り出す。一応出る。
「ちょwwwwwwwwwマジwwwwww何切ってwwwwwウケるwwwwwwwオレオレ、バットマンwwwwww」
「や、バットマン死んだし」
「死なないの死なないのそれがサバイビング〜。あのあと復活したの。ホップステップクライスティング〜
「クライスティング?」
「バカwwwwロビンwwwバカwwwwキリストのように復活したってこと!ユーノー?」
「…あ、なんでもいいです。あなたがバットマンでも違う人でもなんでもいいです。僕はロビンもうしませんから」
「あー!てめ何言ってんだよ、こら!!ぶっ殺すぞ!!!…なんちゃって〜」
「もう切りますね」
「あ〜ごめんごめんごめん。まあ聞きなさい。あのね、ロビンはロビンマスクなの」
「え?」
「メガネじゃなくって、ロビンマスクをかぶってほしいの」
「えーと、キン肉マンに出てくるアレですか?」
「そうね、だいたいね。デザイン的にはね」
「それをかぶるとどうなるんですか?」
「ロビン食いついてキター!でも、かぶるんじゃないの〜。ねえねえ、ロビンさー。ヒゲ、もう剃れないでしょう」
 …そーなのだ!最近、何かヒゲが濃くなって朝に剃っても学校から帰るころには、顔の下半分が真っ青のジョリジョリになっていたのだ。そして、今朝はなんと起きたらむっちゃ太いヒゲが生えていて、もはや僕のブラウンメンズシェーバーの刃まで、はじいてしまうのだった。だから今日は学校を休んだのだった。
「ちょっとロビン顔さわってみ!サワリング〜
 さわる。モジャる。さわる。モジャる。さわる。モジャる。うわわわわ、なんだこれは。僕の顔中が毛だらけだ。顔全体から縮れ毛が生えている。顔が毛の中に埋まってしまっている。そんな。いつの間に。これじゃ表へ出れない!!
「ふへへへへへへへへ。ロビンもう引き返せないよ。ロビンマスクにならないと、お前は一生顔面陰毛マンだよ。マジウケるよwwwwwオレはそれでもいいよwwwwプーwwwwwギザワロスwwwwwwwwwwwwwwwwww」
「おい、ふざけんなよ!オレを元に戻せ」
「悪いけど、元には戻れないですぅ。ロビンの選択肢は二つだよ。ひとつは、そのままゴリラになること。もうひとつは、その毛を硬化させてマスクマンに変化すること。お前のヒゲが、ロビンマスクになるいんグ〜
 ダメだ。何言ってるのかわからない。助けてくれ。毛人間にはなりたくない。
「わかった。ロビンマスクになるから、顔を戻してくれ!」
「顔は戻らない。顔面陰毛マンか、毛が硬化したロビンマスクになるかだ。まあ聞くまでもないよ選ぶまでもないよ。お前はロビンマスクになるしかねーんだよwwwwwwww」
「そんな…」
「くっくっく。ロビンマスクになるには儀式(イニシエーション)が必要だ。今から菊地凛子がそっちに向かうよ。おとなしく待てよ。くっくっく」
「助けて…」
ぶちっ。


 2時間して僕の家にキクリンが居た。彼女は冷たい目線で僕を見下ろしていた。僕は2階の自分の部屋に彼女を案内しようとしたけど、自分の毛ですっころんで階段から落ちたのだった。僕の全身から毛がどんどん伸び続けていた。助けてくれ。助けてくれ。口にまで毛が入ってきて、うまくしゃべれない。「あうあうあううううああ」
「哀れね。これから、あなたは私たちと同じ運命を生きるの。キルドレとして、あなたも私も、もう死ぬことはできない。それはあの男も同じ。私の父も同じ。ジョーカーもね。私だって人並みに、働いて恋をして家族を作って暮らしてみたかった。でも、私たちは奪われた。あなたも、いま奪われようとしている」
 キクリンは暗い目をしていた。まるで、僕がこれまで見たことも想像したこともないような深い闇の底から外界を覗き込んでいるようだった。僕は恐かった。僕がどうなったのか。彼女は何なのか。子供のころ、海でおぼれかけた。あのときと同じ圧倒的な恐怖。自分の存在が消えてなくなる。僕はただ…
「ねえ?死にたい?今なら殺してあげるわよ。生きていても、きっと後悔するわ。あのとき、死ねばよかった。なんで生き続けなければいけないのか。あなたもそう思う。ねえ?それでも生きたい?あなたは全身を脱げないヨロイに包まれて、バットマンのために戦い続ける。あなたは文字通り誰にもさわることはできない。硬い硬いヨロイに阻まれて。それでも生きたい?」
「あうあうあうあううううげぇえおぇ」
 生きたい。生きたい。生きたい。生きたい。生きて、人間としてあーちゃんに会いたい。あーちゃん。あーちゃん。お母さん。お母さん。お母さん。助けて。助けて。お母さん。助けてください。
「くっくっく。そう。わかった」
 それはバットマンの笑いにそっくりだった。僕はいつの間にか大きな人毛の球体になっていた。黒く、うごめく、大きな大きな僕の体から伸びた毛に作られた球。視界は閉ざされていた。でも、キクリンのことははっきり見えた。キクリンの声だけははっきり聞こえた。
「はじめりんグ〜
 キクリンはゆっくりネクタイを外し、シャツを脱いだ。キクリンの肌は女子高生のみずみずしさを讃えながらも、どこか死んでいた。僕にはわかった。何百年も生きる中で、染み込んだ人の欲望や心の闇がキクリンの体に深い憂いを残していたのだ。それは、悲しく穢れていた。キクリンはスカートを下ろした。ノーパンだった。陰毛はもちろん、ボーボー。