闇夜(やみよる)21

 ニコラスが死んだ次の日からキクリンは何度めかの登校拒否になった。たくさん尋ねたいこともあったので、陰毛はボーボーと繁っているくせにケータイを持っていないキクリンのアパートを何回か訪ねたけれどいつも留守だった。こないだ市内で暴れ回ってた変態超人たちも、いかにも雑魚っぽいロビンだかロビンマスクだかバラクーダだか以外にはめっきり目撃されなくなって落ち着いちゃった。たぶん鳥取の夏の暑さは全身タイツにはキツいんだと思う。

 エロ店長のニコラスが死んで慢性的なセクハラからは解放されたけれど私はずどーんとどっぷり落ち込んでいた。そんな私を慰めるようにカンチと羽鳥のバカコンビが慣れなれしく私に声を掛けてきた。

 「俺たちとキャッチボールやろうぜ!」
 「やろうやろう!」

 この二人いつの間にこんなに親しくなったんだろう。羽鳥なんてスネオっぽい態度になってるし。なーんて思いつつも「いいよーやることないからー」とボランティア精神をフル稼働して承諾。ジオフロントにある校舎から音速エレベーターでグワーッと地上にある野球場に出た。「道具はこれね」と言って羽鳥が手にしたソフマップの袋の中身をホームベースの上にばらまいた。キャッチャーミット2コと軟式ボール六個、金属バット2本。

 「なんでキャッチャーミットなんだよロビ…」
 「わー!わー!スミマセン」

 バカ二人のアホコントを聞いているだけでなにか悪い病気になりそうなので私は途中から聞かなかった。空は青々としていて日本海からはにょきにょきと真っ白な入道雲が生えていた。ニコラスは最期、湿った目で鳥取は色に溢れていると言い残した。私もそう思う。でもガススタ店長のニコラスがこの街を守るために死ぬなんて理不尽だ。ニコラスが戦士?死に場所を探していた?わけわかんない。とりあえずキクリンを探し出さないとダメだこりゃ。

 カンチが投げたボールを、私が掛け声付一本足打法でカキーンと外野までかっ飛ばし、キャッチャーミットを持った羽鳥が犬のようにライトからレフト、レフトからライトへと息を切らして追いかける。

 「行くぞー!」ピシュ。
 「ナボナッ!」カッキーン。
 「うわーん」
 「次行くぞー!」ピシュ。
 「ナボナッ!」カッキーン。
 「うそーん」

 そのうち羽鳥がセンターのポジションで倒れたので見ていないふりをして私とカンチはガリガリ君を食べながら錆びたベンチで休憩した。カンチが話を始めたのは私が羽鳥の分のガリガリ君を半分くらいまで食べたときだ。

 「俺たちは本物の野球がない世界にいるんだ…」
 「ホエ。どしたの急に?」
 「昔、野球にもプロがあったの知ってるか?」
 「プロ?野球で?この国に?いつくらいのこと?プロのスポーツなんてボーリングしかないじゃん」
 「まだこの国と東北が別れる前だ。札幌、仙台、千葉、東京、横浜、名古屋、大阪、鳥取、広島、福岡。日本を代表する都市にはプロ野球があったんだ」
 「ウソー!全然知らなかった」
 「嘘じゃないよ。戦争前のことだから皆忘れているだけ、違うな…」

 カンチは少し戸惑う素振りを見せて話を切り、一呼吸置いてから続けた。私はガリガリ君を食べ終えた。

 「プロ野球は消されたんだ。東北が独立を宣言するずっと前、常勝の天才野村カツノリに率いられた東北楽天イーグルスは他の球団を叩きのめしたらしい。それこそメッタメタにやっつけた。それが東北の人間のコンプレックスを払拭して例の内戦の土壌になった。それで政治家はプロ野球を日本から、歴史から消した。俺は野球を取り戻すために…いやゴメンつまらない話して」
 「野球楽しいのにね。どーして消しちゃうんだろ…」
 「野球は最高だよ。政治家が馬鹿なだけなんだ、たぶん。さて羽鳥を起こしてくるか…あれ?」

 異変に気付いたカンチが羽鳥のいる外野から内野スタンドへ視線を送る。羽鳥は声が出ないみたいでぐるぐる腕を振り回し内野スタンドのファースト側に私の注意を向けようとしている。内野スタンドでは隣のクラスの嫌われ軟派野郎の岡田SPと他の学校の和服を着た子が日傘で相合傘をしていた。岡田は6気筒をこよなく愛するバイクチーム「V6」のパシリ。岡田のあだ名「SP」は「スペルマン」の略で由来は「すぐ射精するから」らしいけど私は興味ないのでよく知らない。女の子のほうは「なかなかカワイイ」ってレベルで私よりちょっと落ちるかな正直言って申し訳ないけどスマヌけど。

 私はなんか遊んでいるところを見物されていたのがムカムカしてきた。ナボナとか叫んでメチャメチャ恥ずかしい。あ、岡田笑ってる。こっち指さして笑ってる。あーもう無理。私は足元に転がっているボールを掴んで自慢の鉄腕で内野スタンドに剛球をお見舞いする。完璧なレーザービームが岡田の顔面に向かって飛んでいく。スペルマン岡田は日傘を投げ捨てて上体を向って左にスウェイしてかわそうとする。哀れスペルマン岡田。私の投げた軟式ボールはスライダー、岡田の逃げた方向にグイっと曲がって顔面にめり込んだ。岡田は泡を吹いて失神&失禁。ゴロゴロと吐しゃ物とオシッコにまみれながら内野スタンドを転げ落ちて金網にめり込んだ。和服ガールはいつのまにかいなくなっていた。

 回復した羽鳥がホームベースにいる私たちのところに戻ってきた。やりすぎじゃないかなとか言っているのを私は軽く無視する。そだ、このコンビにキクリン探しを手伝ってもらおう。遊びに付き合ってあげたんだから不満は言わせない。そうしよー。きーめた。野球場から帰るときに、この秋の文化祭が安全上の理由から学校じゃなくてあのセンス最悪「大仏魂」がある鳥取城址で行われるって羽鳥から教えてもらった。学校の方が安全だと思うけど本当に学校の考えていることはよくわからない。

 ん?「ちょっとタイム。鳥取にもあったっていったよね?プロ野球
 「あったよ。鳥取はてなシナモンズ。最後の監督はGG佐藤。キモチいいくらいの固い守備と勝負弱い打撃で引き分けを狙うチームだったらしい」
 「随分と地味ね」

 シノブが何者かに誘拐されたのはこの平和な日の夜のことだ。シノブからの「誘拐された。ふえーん」メールを受信してすぐに私は行動を開始する。部屋から人間大砲のように発射された私は階段をダダダと駆け降りる。駆け降りるスピードが速くなった気がするけどたぶん錯覚だよね。うん。また変なことが起こるのかなあ。キクリン早く出てきてよ。もう。最近、パパは晩御飯のときまでチャゲアスを流しているし、もう最悪。私はフェンダーを担いで家を飛び出した。満月。「湿った目をした戦士ニコラス」の魂が乗り移った原付が月に吠える。ぶぶぶっぶぶぶ。