闇夜(やみよる)41

 破壊は常に創造とともにある。弁証法において、否定が常に綜合と手を結んでいるように。東京を飲みつくそうと言う破壊の焔が7日間燃え続ける一方で、北日本の中心である宮城県仙台市では新しい巨大建築物の建造が進められていた。20世紀の後半に北朝鮮で建設が始められつつも諸事情から建設作業が中断し、結局、完成の日の目を見ずに小型核弾頭によってガレキの山と成り果てた柳京ホテルの意匠を引き継いだ、その建築は新国家に相応しいモニュメントとなるはずだった。しかし北日本独立紛争の天王山と呼ばれた火の7日間が終わったこの時点では、その高さ330メートルにもなる超々高層ビルは地下施設を組み入れるための、巨大な縦穴に過ぎない。かつて「東北の歌舞伎町」と呼ばれた仙台市国分町の歓楽街跡地に、その穴は存在していた。
「私はね、『東北の歌舞伎町』という呼び名。これが昔から嫌いでね。どうして歌舞伎町が『関東の国分町』じゃないんだ?といつも思ったものですよ」
 宮城県知事、上野俊哉は暗く、地の底まで続きそうな穴をそこからそれほど遠くないビルの窓から眺めていた。彼がいる室内には他の6人の県知事たちも揃っている。自作自演による知事誘拐事件、火の7日間、そして……次なる手をどうするか。これを話し合おうとこの日、仙台市に集まっていたのだ。彼らは割りに古い人間だった。この頃すでに「会談」といえばオンラインで行うものという常識があったにも関わらず、彼らはこうして実際に触れられる距離で話し合うのを好んでいた。
「それが今や逆転したわけですな。いや、これも正確ではありませんか。なにせ、もはや『歌舞伎町』などという街は世界中のどこを探してもないのですから。あの北日本独立記念ビルが完成すれば、歓楽街の代名詞は国分町のものになるでしょう。いやあ、今日はしかしめでたい日だ!これでもう北日本の勝利は決まったようなものでしょう!」
 上野は眼鏡の奥にある眼を喜びの光で爛々と輝かしながら続けた。
「しかし、これからが忙しい」
 そこに北海道知事、杉村太蔵が言葉を挟む。
「まず勝利宣言をするでしょう。これは独立宣言以上に華々しいセレモニーにしなくてはいけません。それから焦土となった東京の土地をどうするか、という問題もある」
 杉村の言葉に上野は祝いの席にいるような気分でいたのに水を差されたような気もしたが、不快な気持ちを顔には出さず、逆にどこからどうみてもこの人は為政者だという様子で頷いた。それを確認した杉村は、少し不安になった。彼は7人のなかで最も若輩者である自意識のために、これまで控えめに行こうと心に決めていた。この瞬間にも彼は、上野が気分を害したのではないかと考え、また出すぎた真似をしてしまった……と後悔している。なんで俺は……。杉村の頭のなかで自分の行動を苛む言葉が螺旋運動を始めていた。俺の馬鹿……!俺の呪われた犬……!俺なんか焼かれてしまえば良い……!
「東京についてですが、私にひとつ考えがある」
 杉村の異変に気がついて助け舟を出したのは、秋田県知事、加藤鷹だった。加藤は杉村にひとつウインクをしながら話し始めた。
「我々は独立のための武力行使で、世界中からさまざまな人間を集めました。アフリカや東南アジアや南米の傭兵たちはもちろん、なかには素性がはっきりしない犯罪者のような輩も含め、使えそうな人間はみんな独立のための闘いに参加させました。我々の勝利は彼らのおかげと言っても良い。しかし、戦後に彼らをどうするか、これは今後問題になるでしょう。しかし、あのような荒くれたちを、元々の北日本の領土に向かえ入れられるか、と言えば大いに考えモノです。折角の勝ち取った土地を彼らに汚されてはもったいない。そこでどうでしょう。いっそのこと、彼らにあの焦土、変わり果てた東京の土地を与えてしまうと言うのは。どうせ今や硝煙と肉の焼けた匂いしかしないガレキの山だ。こちらとしてももらってくれるなら嬉しいくらいじゃありませんか」
 加藤はここぞとばかりに美声を響かせた。まるでミラノの歌劇場でオセローを演じるテノール歌手のように豊かな彼の声色に、杉村は自分の脇からとめどなく流れる緊張の冷や汗を自然と止めてくれるような感激を覚えた。
「荒くれどもは皆あの廃墟と化した街に囲い込む、というわけですか」
 そこに岩手県知事、伊藤政則が割って入った。
「私は、加藤さんの意見に途中までは同意します……しかし、少し詰めが甘いですね。私ならこうする。あの廃墟へ荒くれどもを囲い込む。しかし、我々は徹底的に彼らを管理します。そして、廃墟からまた新たに街を作らせるのです。力自慢の輩ばかりですから、きっと良い労働力になってくれるでしょう。何もない土地ですから、どんな建物を作ったって良い。そこには労働の場が生まれる……するとどうでしょう……経済が生まれる!ねぇ、明暗でしょう!」
 伊藤の気分は自分の考えを話すうちに昂揚していた。自分の意見に酔っていたのだ。それは、東北一の経済通知事としての実力を久々に発揮できる機会がまわってきたせいでもあった。話に熱が入りすぎて、彼がかけていた遠近両方メガネのレンズが曇ったほどで、その勢いは止まらなかった。一体何分間続けるのだろうか、伊藤の様子に青森県知事、田中義剛は呆れていた。
「伊藤さん、もうそろそろ良いじゃないですか。東京の話はまた考えましょうよ」
 そこで田中はため息をつきながら、伊藤を抑えにかかった。しかし、伊藤は熱くなりすぎていた。
「人が一生懸命話しているのに、なんだ、その態度は!」
 伊藤が激昂した瞬間に、知事たちがいた室内の空気はビリビリと震えた。近くに雷が落ちたかのような衝撃に、田中は一瞬たじろいだが、青森県全域の暴走族を取り締まる交通課の鬼巡査から立身出世で、知事の座をもぎ取った彼の血は黙ってはいなかった。音を立てて勢いよく席を立ったかと思うと、伊藤の方に歩み寄り、胸倉に掴みかかる。
「テメェ、こっちが下手に出たと思って調子にのってんじゃねぇぞ、オラ、あ?」
 田中は毎晩国道4号線で改造バイクの集団を待ち構え、“相手”が来た瞬間に道を飛び出し、前輪を鉄パイプで強打し、横転させ、そして補導し続けた……あの頃に戻っていた。彼の意識にはもはや自分が北日本連邦を司る知事の一人である自覚など残っていなかった。あるのは年甲斐のない闘争心と不快感だけだった。
 しかし、胸倉をつかまれている伊藤は田中の恫喝にひるむところをみせない。それどころか驚くべき方法で伊藤は田中に反応した。自分の胸倉を掴んだままの田中の腕に手を添えたかと思うと、次の瞬間に伊藤の足は宙を舞い、そして田中の肩と首を捉えていた。伊藤の動きのあまりの速さに、その場にいた誰もが何が起こったか分からなかった。伊藤の2本の足が大蛇のように田中の腕と肩と首に絡み付き、伊藤の胴体は太い木の幹にしがみつくようにして宙に浮いていた。それは完璧な飛びつき三角締めだった。それを受けた田中の顔色は見る見るうちに朱に染まった。
「はやく、降参したほうが良いですよ。この技は一度決まったら絶対に外れない。無理に外そうとすれば、腕がポッキリと折れてしまいます」
 伊藤がさきほどの激昂とは打って変わって、優しく諭すように自分に話しかけるのを田中は薄れゆく意識のなかで聞く。自分の身に何が起こったか、彼はまだ把握できず、息苦しさのなか、死に掛けた蝦蟇のように醜い声を漏らした。
 伊藤は自分の正体を誰にも明かしていなかった。彼が岩手県に本拠地をおくネオみちのくプロレスの社長兼現役レスラーであったことを。ザ・レジェンド・サスケ。それが彼のリング・ネームだった。メキシコ仕込みの華麗なる空中殺法とアマ・レスリングで培われた高いグラウンド能力。ザ・レジェンド・サスケが天と地を治める偉大なる格闘家であることは世界的にも知られていたにも関わらず、伊藤の正体がザ・レジェンド・サスケだと露呈しなかったのは、彼が覆面レスラーだったからなのだが、これには2重の意味がある。1つは文字通り、覆面レスラーだったから伊藤だと分からなかった、ということ。2つ目は、彼が負けを知らないレスラーだったからだ――彼の無敗伝説はメキシコ時代から続き、出場したマスク剥ぎマッチで一度として素顔を観客にさらしたことはない。これはルリャリブレ史上においてもザ・レジェンド・サスケのほかにアセイテ・フェゲテウとリャ・コステリアーノの2人しかいない快挙である。
 この鮮やかな飛びつき三角締めが決まっても他の知事たちは、伊藤がザ・レジェンド・サスケであることに気がつかなかった。彼らはそれほどまでに動転していたのだ。周囲にいた他の知事たちが2人を止めようとしたのは、少々遅かった。恐れを感じながら加藤が伊藤の肩に手をかけた瞬間、田中は口角に白い泡を浮かべながらがっくりと地に膝を落として意識を失う。漸く伊藤が技をといたのはそれからだった――「大丈夫です。死にはしません。5分も過ぎればムックリと起き上がりますよ」。伊藤は言った。
 しかし、訪れたのは静寂。1人の男が室内に倒れているのを皆呆然と眺めながら、ただ沈黙を守り続けていた。そこには恐ろしく気まずい空気が流れていた。
「私たちは何をしているんでしょうか……」
 しばらくして福島県知事、小林研一郎が言った。悲痛で、消え入りそうな声だった。祭が終わったあとに、ふと冷静になりひどく悲しい気持ちになった子供のような不安が彼の声には含まれていた。
「今ここで起こったことだけの話じゃない。我々は一人の得体の知れないロシア人の案で戦争を起こし、様々な物を破壊し、そして数多の人間を殺した。直接的に何もしてはいない。しかし、決定したのは我々です。我々は何がやりたくて、こんなことをしでかしたんでしょうか。私たちはこんな戦争を本当に望んでいたんでしょうか……なんだか、恐ろしくて仕方がないんです。これからどうしたら良いんでしょうか……」
 小林の言葉によって、室内にはさらに重苦しい空気が吹き込んだ。最初に一番上機嫌でいた上野の顔も苦々しく歪んだものになり、喜びの廃墟のようなものしか残っていない。ほかの知事たちも皆同じような気持ちでいた(いまだ床に突っ伏したままの田中を残してだが)。
「おやおや、皆さん、いけませんね……急に日和ったんですか」
 知事たち以外の者が発した声によって、その暗い沈黙は破られた。それは知事たちには聞き覚えのある声だった――それはユーリ・テミルカーノフコマンドサンボの使い手で、セルゲイ・オマンコーノフの通訳の男のものだった。知事たちが振り返るとそこには声の主が、その雇い主と一緒に部屋の入り口に立っている。彼らが巨躯のテミルカーノフと小役人のようなオマンコーノフが並ぶ姿を通信ディスプレイ越しではなく見るのは、戦争が始まる前の会談以来だった。
「今更後悔しても遅いんですよ、時間は不可逆なものですから。あなた方は2度と元には戻れないんですよ」
 オマンコーノフがボソボソと話すロシア語がテミルカーノフによって日本語に翻訳されるのを知事たちは聞いている。その翻訳スピードはほとんど同時通訳状態で、テミルカーノフの日本語はオマンコーノフのロシア語の影のように響く。それは聞き手を困惑させる。翻訳されているのは日本語なのかロシア語なのか、知事たちは誤認しそうになる。
 だが、テミルカーノフはその雇い主のようには笑わない。知事たちは巨躯の影で、オマンコーノフが忍び笑いをするのを聞いた。
「一旦進みだした時間はとことん進ませるしかないのです」
 碧眼の2人組が徐々に近づいてくるのに対して、知事たちは無意識に後ずさりを始めている。彼らは足元に恐怖を感じている。この冷たい感覚に、伊藤はいまだ意識を失ったままでいる田中を羨ましくさえ思うほどだった。