闇夜(やみよる)12

 「エーステ!」

 一瞬の沈黙に「…コ」「…コ」「…コ」のルフラン。私は声を聞いた。


 鳥取駅北口ロータリーでの戦いを終わらせた私は原付バイクを走らせていた。預かった荷物はしっかりと担いでいる。霧雨。あのときと同じだ。声を聞いたときと。悪魔の声を聞いたときと。私はかつて血に塗れた手を洗い続ける戦士だった。特殊戦13号。それが私の名前だった。名前であり名前でない名前。私は秘密機関「ZOO」で他の子供たちと共に育てられた。周りの大人たちは私たちを「永遠の子供」と呼んだ。手のひらにナンバーを入れられ日夜訓練に明け暮れる日々を送った。

 特殊戦のルーツはロシアから軍事顧問としてアンナがまだ雪の降り頻る釧路のヘリポートに降り立ったときに遡る。アンナ・ルナマリア元ロシア陸軍准将。私たちは彼女を「アナ=ル」と呼んで畏怖した。アナ=ルは私たちにとって母であり父であり、そして絶対的な「神」であった。アナ=ルは母国諜報機関のノウハウの全てを「ZOO」と「永遠の子供」に授けた。ゲリラ戦術、殺人術、諜報、謀略、防諜。任務遂行は何よりも優先された。仲間の命、己の命よりも。18歳になった私たち「永遠の子供」は正式にそして秘密裏のうちに部隊化された。釧路師団第一特殊戦隊。司令官にはアナ=ルが就いた。私たちは「特殊戦」、あるいは司令官の名を採って「アナ戦」と呼ばれた。

 紛争末期、私は埼玉県蓮田市にアナ戦の一員として潜入した。すでに紛争は膠着状態に陥っていたが特殊戦の戦いは激しさを増していた。転戦に次ぐ転戦。蓮田市に潜入したアナ戦の任務はクローンプロジェクト「ディスティニー・チャイルド」研究施設及び被験体の破壊。いうなれば敵側にあるもうひとつの「永遠の子供」の破壊である。被験体は7体。ランク(A)(B)の二段階に分けられ、それぞれにランク(A)「アトロポス」・「ラキシス」・「クローソー」・ランク(B)「ウルド」・「ベルダンディ」・「スクルド」・「ヒトエ57move」とコードネームが付けられ7体全ての完全破壊が厳命された。既に諜報部が得た情報で被験体ランク(B)4体についての解析は終了していた。札幌市営南北線すすき野駅地下に据えられたスーパーコンピューターぴゅう太TP1000」が戦術シミュレーションソフト「ボコスカウォーズ」で演算した結果はアナ戦の完全な勝利であった。被験体(A)についての情報はなし。だが「ぴゅう太TP1000」は予測値で対被検体(A)の能力を解析しアナ戦の勝利を予測していた。過去の実戦、結果が「ぴゅう太TP1000」の信頼性を証明していた。

 霧雨の降る夜明け前、私たちアナ戦14名は別々のルートで蓮田市郊外のポイントAに終結、二手に別れて廃工場に偽装された研究所に突入、3分後、予定より30秒早くアナ戦は被験体(B)群4体の処分とB1Fの制圧に成功した。アナ戦の損害はゼロ。呼吸を乱すものもいない。フォーメーションを立て直しB2Fへ突入しようとしていた私たちの鼓膜が奇妙な歌音を捉える。…コ。…コ。…コ。ゴトン。潜水艦の扉を連想させる厚い隔壁が重い音を上げて開いた。

 アトロポスラキシスクローソーと思われる3体が横一列で近づいてくる。距離200メートル。私たちはフォーメション「Choo Choo TRAIN」で突入、3体の殲滅を図った。レーザーカッターを両手に備えた14人の縦列が後方までの視野を確保するためにグルグル回りながら大きなドリルのようになって3体に向かって時速60キロの猛スピードで突撃した。14対3数的に圧倒的優位を確保。死角はなかった。私は勝利を確信していた。音楽が始まるまでは。舞踏が始まるまでは。3体は華麗に舞った。それは舞踏だった。そして音楽が流れると共に惨劇は始まった。

 チョコレイト・ディスコ・チョコレイト・ディスコチョコレイト・ディスコチョコレイト・ディスコチョコレイト・ディスコチョコレイト・ディスコチョコレイト・ディスコチョコレイト・ディスコ・ディスコ・ディスコ・ディスコ・ディスコ。ディスコの「コ」が訪れるたびに一人また一人、「Choo Choo TRAIN」前方の「永遠の子供」から首と両腕が切断され鮮血と肉片が天井と壁を赤く染めていった。天井からは血のスコール。床には切断された頭部がミートボールとなって転がり、頭部と腕を切断された胴体が痙攣し、のた打ち回っていた。口パクのワンフレーズ、たった十数秒で12の首なし斬殺死体を残してアナ=ルが心血の全てを注いで育て上げたアナ戦は壊滅した。アナ戦は全滅を許されない。情報を持ち帰らなければならない。「Choo Choo TRAIN」の最後尾にいたおかげでかろうじて生き残った私と特殊戦14号「湿った眼をした男」は撤退を図った。光学迷彩をオンにし煙幕をはり全速力でコンクリートの地を蹴った。背後からは死の歌。ディスコ・ディスコ・ディスコ…。私は生まれて初めて恐怖を知った。特殊戦14号は私を逃がすために反転した。時間稼ぎのために。私一人が蓮田市からの脱出に成功した。クローンプロジェクト「ディスティニー・チャイルド」壊滅作戦はこうして失敗した。明朝、軍はN2爆弾によって蓮田市もろともに被験体(A)アトロポスラキシスクローソーを焼き払った。蓮田市はそこにいた住民や戦争避難民と共に焦土と化した。しかしその後も死の3女神が前線で兵士たちを肉片にする姿はたびたび目撃され、忌まわしきコードネームとは異なる名で呼ばれた…。

 釧路に帰還した私は公安部へと転属となりやがて停戦となった。停戦後、鳥取への潜入を命じられた私は旅立つ前に釧路市立病院へと足を向けた。末期ガンに侵されたアナ=ルを見舞うために。アナ=ルは気高くこう言った。


「「永遠の子供」「ZOO」「特殊戦」は私のすべてだ。私は間違っていなかった。最後の命令だ13号。私を射殺せよ」


「イエス、マスター…」


 私はディルドに偽装して常に持ち歩いているノイエ・ナンブ・ZZを取り出し正確にアナ=ルを貫いた。心臓を貫かれたアナ=ルは血の染み出した白いベッドのうえで微笑んでいた。あれから15年。「ん…」背中の荷物が動いた。


 「気がついたか?」


 「ん…あれー?なんで私がキクリンの後ろに乗ってるの?頭痛いし朝から『SAYYES』だしもー今日最悪なのー。ねえ聞いてる?キクリーン…」


 菊池凛子。それが今の私の名前だ。私はかつて私に恐怖を植え付けた存在クローソーによく似た少女を背に乗せ原付を走らせている。原付のエンジンが二人分の重量で悲鳴をあげている。


 「あー服が汚れてるーもうー最悪!」


 「ふっまさかな…」私はひとりごちた。


 血ではなく霧雨が私の身体を濡らしていた。