闇夜(やみよる)11

 1年前まで深夜の墓場のように静まり返っていた釧路港は、海底から無尽蔵かと思われるほどの勢いでメタンハイドレートを汲み上げる巨大パイプ、マイクのおかげで蘇る。以前は燃料高騰の煽りをうけて代々続けられてきた蟹漁や美味しいカマボコなどの原料になる白身魚を捕獲するために沖へ出る船は港に釘付け状態だったのにもはやそんな過去は誰も思い出せないと言った様子。市場には人が溢れ、ゴム製の前垂れをかけた若い釧路漁業組合員の一人は押し寄せる人の波に向かって絶叫する。「蟹!蟹!蟹!」。そうこうしているうちに漁へ出ていた船が戻ってくる。鮮やかな大漁旗が風を受けて揺れる。「Mike Love!」。旗には金の刺繍糸でそう縫ってあった。
 これが25年の釧路港の様子だ。戦争が始まる1ヵ月前の栄えた港町の風景。しかし、そこには通常の港町の風景にはない異様なものがただひとつ存在していたんだ。それは軍艦。正確に述べるならば空母。もちろん、釧路港がかつての横須賀のような軍港ではない、単なる漁港であったことは歴史に詳しい人間であるならば誰もがしっていることだろう。しかし、そこに何故か一隻の巨大な空母が停泊している。空母は大きかった。それ自体がひとつの街であるかのように。留まっていたのは20世紀の遺物、ウリヤノフスク級原子力空母“ミーチャ”が一隻。長年潮風に吹かれ続けてきたせいで荒れた金属の表面は、積み重ねてきた年月の重みを漂わせているが、それが無用のものであるように誰の目にも映った。戦争は遠くになりにけり。その昔、ソヴィエト連邦という超実験的共産主義国家が存在していた頃の記憶など誰も覚えていなかった。誰もが「旧時代の歴史的建造物がなんとなく動いて、なんとなく港に留ってみただけ」とそんな風に思っていたんだね。
 その少し前、ウラジヴォストクからヘリが飛んでいた。それと時刻を前後して、福島、山形、仙台、秋田、盛岡、青森、そして札幌からもヘリが地上を離れた。ほぼ同時刻に各地から飛び立った8機のヘリの向かう先はどこだったんだろう?――私はここまで歴史を物語のように語ってきた。だから、分かるはずだ――そうだ。8機のヘリはすべて釧路を目指している。しかし、そのヘリの機内には誰がいたのだろう?――私はここまで歴史を物語のように語ってきた。だから、これについては語らなかった。だから、ここで話そう――まずウラジヴォストクから飛び立ったヘリの機内には2人のロシア人がいる。そして、東北6県および北海道から飛び立ったヘリのなかにはそれぞれの土地の知事たちがいた。


 何のために?


 各地から飛び立った8機のヘリが、釧路港に留った原子力空母に着艦したのはほぼ同時刻。ヘリから降りた東北6県、そして北海道の知事たちは空母の滑走路の上で互いを認め合い、挨拶を交わした。「いやいやいや……ひさしぶりだない、あんだ、2年前に赤坂の飲み屋で出くわしたばっかりだべした?」。「んだ。あんどぎは腰抜かすがど思った。俺もあんだがあの店にいるどわおもわね。いやいやいや……」――以降、知事たちの会話はすべて標準語に置換して語る。それも歴史を語るものの仕事だろう。
 後に7人の賢者たちとして北日本のすべてを掌握することになる7人の知事たちは横一列に並び、ウラジヴォストクから飛んできたヘリから2人のロシア人が降りてくるのを待っていた。
 まず、降りてきたのは額から右目にかけて大きく縦一文字の傷が目立つ大男。かつて日本の総合格闘技界を賑わせ“クレムリンの赤い悪魔”という異名で呼ばれたコマンドサンボの使い手、ユーリ・テミルカーノフだった。
「あなたの活躍は覚えています。たしか、武道館でしたかな。ブラジル出身の400戦無敗を騙る柔術家を40秒でKOしたのは」
 近づいてきたこの大男に向かいそう言って握手を求めたのは秋田県知事、加藤鷹。男の右手は加藤の1.5倍はあろうかと言う大きさで、節くれだったジャンボフランクフルトほどの指は格闘家の秘めたる力を物語っている。テミルカーノフが握手に応じた瞬間、加藤は華麗な動きでサブミッションへ移行されるのではないかという危惧を覚えたほど力強い握手が滑走路の上で交わされる。丸太のように太いテミルカーノフの腕は、材木屋の息子として生まれた加藤の胸中に懐かしさを呼ぶ。
「おつかれサンボ」
 加藤の挨拶にかつての栄光を思い出し気分が良くなったテミルカーノフは、巧みな日本語を返した――彼の日本語は淀みなく、まるで公共放送のアナウンサーのようだった。彼は反応が微妙だった7人の知事たちに向かって自分が言った挨拶の説明まで付け加えたのだ。「『おつかれサンボ』。この言葉はつまり、私がコマンドサンボの卓越した技術者であったという事実に関連付けられた冗談です。伝わりにくかったことを深くお詫び申し上げます」。この説明を受けて7人の知事たちはやっと笑うことができたと言う。「面白い!」と大げさな声で言ったのは、福島県知事、小林研一郎だった。
「あなたは日本人以上に綺麗な日本語を話しますね。一体、どこで覚えたんです?」
 と岩手県知事、伊藤政則テミルカーノフの日本語を褒めながら訊ねた。
「ありがとうございます。昔、日本人の元横綱と試合をしたことがあります。その相手はとても手ごわい相手だと聞いていましたから、その対策にと思いまして3ヶ月間、日本に滞在し両国の相撲部屋で修行をさせてもらったのです。日本語はそのときに。折角なので帰国してからも勉強を続けたのです。そのおかげで引退してからも貴重な日本語の通訳として生活できています。まったく、人生には無駄がない」
 テミルカーノフはそう言って豪快に笑った。
 しかし、この状況で重要だったのは彼ではなかった――東北6県、そして北海道の知事たちが一同に介するなどというのはかなり特殊な状況と言えるだろう(もちろん、彼らがここに集まったのは極秘だった)。テミルカーノフは単なる通訳に過ぎない。重要であったのは、彼の影に隠れていた男、セルゲイ・オマンコーノフだった。当時若干、35歳。7人の知事たちをこの場に集めたのもこの男だった。
 それは異様な光景だった。オマンコーノフはロシア人には珍しい小男で、テミルカーノフと並んだ姿はさながらサーカスの熊と獣使いとでも言った様子。しかし、彼がその場でもっとも権力の名に相応しい人物であることは着ているものからも分かる――見るからに上等な生地で仕立てられたオマンコーノフのスーツは、18歳にしてミラノ・コレクションへと衝撃的デビューを果たし「ジャケットの皇太子」の名を欲しいままにしていたジョルジュ・アルマーニ3世にデザインさせたものだった。彼がそれまでアルマーニ3世へと発注したスーツは合計250着とも言われ、記念すべき200着目のオーダーの日には新聞記事にもなったほどだ。「これがあの有名なスーツか……」と宮城県知事、上野俊哉は思った。彼は自分がこの日に紳士服コナカのスーツを着てきてしまったことを恥じた――スーツがおろし立てだったことはせめてものの救いだったに違いない。
「お集まりいただけて光栄です。ここは寒い。さあ、中に入りましょう。暖かい食べものなども用意させてあります」
 テミルカーノフを介してオマンコーノフは知事たちに挨拶した。その場のすべてを取り仕切るような堂々とした態度は、北海油田の8割を掌握し、サッカー・チームを4つ持つに相応しい風格だった。ロシアの株式市場において軍用犬のような嗅覚を用いて荒稼ぎをし、たった一代で富を築き上げた男にはむしろ過剰とさえ思えた。成り上がり特有の軽薄さが微塵もないことに青森県知事、田中義剛は驚く。
 しかし、もっとも7人の知事たちを驚かせたのはウリヤノフスク級原子力空母“ミーチャ”の内部だったろう。退役軍人のようにくたびれた外観からは予想不可能な最新式の設備がミーチャの内部に用意されているのを7人の知事たちは見た。図書館、インターネット完備のリフレッシュ・ルーム、ガラス張りのスポーツ・ジム。そこはスターバックス・カフェがあってもおかしくない充実した環境だった。「うちの県庁よりも立派だ」と山形県知事、大泉逸郎は感心する。他の知事たちも同じような感想を抱いていた。真新しい廊下、新品のオイルの匂い、それらはまだこの船が出来て間もないことを伝えている。
「驚いたでしょう?この船は私が作らせたのです。日本の方がこの船の内部に足を踏み入れるのが、あなた方が初めてです」
 7人の知事たちを船内の会議室まで案内する間にオマンコーノフはそう言った(実際に発話したのはテミルカーノフである)。7人の知事たちはそれぞれ「ええ」「本当に」などと言葉を返す。しかし、実のところこの時点で彼らのは「なぜ自分がこの場に呼ばれているのか」を理解していなかった。そのことについては誰もが不思議に思っていたが、この老朽艦を偽装した最新空母を見せられたことで謎は一層深まっていた。
「あなた方は、世界を変えたくありませんか?」
 一同が会議室の席へと着いてすぐにテミルカーノフは7人の知事たちに雇い主の意図を伝えた。だが、彼らはまだその意図がまったく掴めていなかった。むしろ、さらに謎が深まってお互いの顔を見合わせるばかり――そのとき、会議室にボルシチが湯気を立てて運ばれてきた。ボルシチが入った皿を覗き込んだ瞬間に北海道知事、杉村太蔵は思う。
「このスープ、赤い!」