闇夜(やみよる)10

 カンチこと加持千草は自転車をかっ飛ばす下校中も焦っていた。季節はすっかり初夏になろうとしているのに捜査には何の進展もない。入学してからというもの、加持は羽鳥隆之のうわさを学校でもネットでも吹聴して回った(第4話参照)。だが、このうわさは実は羽鳥についてではなく、加持の捜査対象である私立諸星学園理事長、諸星和己についての裏の取れたほぼ確実なプロフィールであった。うわさは諸星の耳にも入るだろう、そして自分のことと気づいた諸星が何らかの動きを見せるのではないか。そんな期待をしていた加持であったが、効果があったことと言えば、羽鳥が学校中から「アナル君」と呼ばれハブられたことだけだった。かわいそうだが、大事の前の小事だ。大儀のために犠牲はつきものだろう。そう加持はお気楽に考えていた。俺だけは「アナル君」とは呼ばないでやろう。
 目下、加持が気にしているのはバットマンの存在だ。バットマンの暴力の理由は?バットマンとは何者なのだ?バットマンが襲った対象は、いくつかの不良グループがそのほとんどだ。理由はわからないが(暴れたいだけなのか?)バットマンは彼らをつぶそうとしているのは間違いないだろう。だが、その中に不可解なものがある。「イヤー・オブ・ザ・ドラゴン」のニコラス店長と菊地凛子、それとシャミネの駅ビルで襲われた会社員、犬山万寿夫。彼らは市民に迷惑をかけているチンピラではない。なぜ彼らを襲ったのか。公安部からの情報によると「イヤー・オブ・ザ・ドラゴン」は、諸星ホールディングスの出資で開業していたという。何かがひっかかる…。加持はあぜ道を走りながら自転車を加速させた。一雨来そうだ。早く帰ろう。


 バットマンに襲撃された時の怪我で入院し、入院中に行方不明になった犬山万寿夫が死体で発見されたのが、昨日の午前中。発見したのは、こともあろうに鳥取空軍演習場の隣の空き地で遊んでいたシノブの弟、小学生のミツル。今は使われていないプレハブ小屋。ミツルたちは、そこを「探検」していて不思議な地下室を発見した。粗末なプレハブ小屋の下にある、頑強なコンクリートの地下室。たちこめる目に染みるほどの猛烈な異臭。ワクワクビクビクしながら地下に降りていったミツルたちが発見したのは、ドロドロに腐り膨張した犬山の死体だった。犬山は簡素な木のイスに座らされ、背もたれを抱くようにして絶命していた。鼻からはムカデが出入りし、体中を白い蛆が這い回っていた。何より奇妙だったのは、犬山の口の両端が耳に向かって切り裂かれていたことだ。犬山はまるで笑っているかのように見えたという。ミツルの友達ヨシオは嘔吐し動けなくなったが、ミツルは好奇心から、棒切れで犬山の顔面をつついた。ぬぽっと眼球が飛び出しミツルの足元に転がった。それに目をとられているとガボボボボという音がして、犬山の目があった場所から緑色の腐食汁とともに大量のメタンガスが噴き出した。ガスをモロにすったミツルは今も意識不明の重体だ。腐敗が激しかったものの、司法解剖の結果、様々なことが判明する。犬山は拷問を受けた後に殺されていた。犬山の手足の指はすべて剥がされて乳房と性器は噛み千切られていた。犯行現場の床からは噛みすりつぶされた犬山の睾丸の一部が発見された。また犬山の肛門は直径10cmほどに広がり、めちゃくちゃに裂け、腸が飛び出していた。尻には30ヶ所以上のナイフの切り傷があり、おそらく犬山を犯しながら噛んだであろう傷が肩口にあった。生体反応があったことから犬山が生きているうちに、それらの行為は行われたようだった。犬山は奥歯が数本折れており、苦悶のあまり歯を食いしばって自ら奥歯を噛み砕いたようだった。犬山の体の至るところから肉がごっそりなくなっていたが、それらの肉片がすべては発見されていないことから、犯人が持ち去ったか、食ったと思われる。そこら中についていた指紋と、肛門から検出された精液を鑑定した結果、犯罪者データベースとの一致はなかった。解剖医がもっともおぞましく思ったことは、口内や肛門から検出された大量の精液と体中の噛み傷の断面に比較的新しいものが混じっていたことである。これは、犬山の死後も犯人は何度もこの場所を訪れ、腐敗の進行している犬山を屍姦し、屍肉を食っていたことを意味していた。犯行現場には、犬山とイス以外に何もなかったが、ただトランプのジョーカーが一枚落ちていた。


 わからん…なぜ犯人は犬山を襲った?偶然に、とんでもない変態に襲われたのか?それとも組織の手のものか?バットマンに襲われた以外に犬山は「光GENJI」に目をつけられるようなことはしていないはずだ。待てよ、犯人も俺と同じようにバットマン接触した人間を追っているならば…。は!次はニコラス店長かキクリンが危ないのではないか!?よし、家に帰ったら、あーちゃんにそのことをメールしとこう。そう加持が考えているうちに山岳部に近い加持のアパートの前まで来ていた。アパートの駐輪場に自転車を止め、カンカンうるさい錆びたフレームの階段を二階まで駆け上る。
 ガチャっと鍵を開け家の中に滑り込むと、中で忍び待っていた男に胸倉をつかまれ、すごい力で壁に押し付けられた。


「ぐぇっ」


 しこたま背中を打ち、苦しくて息ができない。何も考えられず反射的に男に向かって右腕を伸ばす。加持を壁に右手で押し付けたまま、左手で加持の手首を男が掴む。メキョボキョと大きい音がして加持の手首の骨が粉砕骨折した。なぜか痛くない。でも、しばらくバンドができないじゃん。ああ、どうしよう。レンがキレるかも。加持は一瞬でそう考えた。


「俺の名を言ってみろ」


 そう男がつぶやいたところで、加持は男の外見を見回す。なんだこいつは…!緑のサングラス。足元まである銀のマント。緑色の全身タイツ。銀のブーツは脱いで丁寧に玄関に揃えてある。変態だ。まぎれもない変態だ。そして、この青々ジョリジョリとしたメッチャ濃いヒゲ面……あれ?


「お前…はぁはぁ…アナル君…あっ、ぐ…いや、羽鳥…か?」


「えっ?」


 変態はしこたま狼狽していた。


「ちょ…ばっバカ!お、俺はロビンだ!ロビン!!ろ、ロビンパンチ!!!」


 叫びながら変態は加持の顔面にパンチを繰り出し直撃させた。加持の視界は一瞬で真っ暗になった。