闇夜(やみよる)17

 福島県桧枝岐村から日本の全土に向けて飛ばされた電波が止むと、お茶の間にはそれまで映っていた番組が戻ってきた――ある家庭ではCGで再現された森田一義の『笑っていいとも』が、ある家庭では何十年も前に体の一部を機械化することによって人間機械と化したみのもんた2.0の『思いっきりテレビ』がいつもどおりに画面に映し出された。その次の瞬間、巻き起こったのはテレビ局へのクレーム電話の嵐だった――「今、映りこんだ映像は何だ?」「冗談が過ぎる!」。全国のテレビ局の電話対応室に視聴者からの電話が殺到する。北海道県知事、杉村太蔵がおこなった北日本連邦独立宣言を正確に受け止めることができたもの、というよりもむしろ真っ当に受け取ることができたものは誰一人としていなかった。杉村の宣言を誰もが何かの間違い、たちの悪い冗談だと思っていた。


 15分後、東北新幹線の線路が爆破されるというニュース速報が入ってくるまでは。


 新白河から南西に約10キロ行った地点、ちょうど福島県と栃木県の県境で線路は爆破される。その爆破こそ、独立宣言が本物/本気であることを示す北日本側からの挨拶だった――20世紀半ばに運行開始された東北新幹線に、その瞬間終止符が打たれた。幸いなことに死亡者はおらず、爆破地点すぐ近くの農園で桃の剪定作業に従事していた67歳の男性が飛んできた破片に当たり全治2週間のケガを負っただけだった。ほっと胸を撫で下ろしたのは、福島県知事、小林研一郎だった。
「なにもそこまでする必要はないのでは?」
 小林はこの爆破計画に反対した。
「いえ、これはあなた方の怨恨を晴らすためにも、それから北日本連邦独立のためにも重要なことなのです」
 釧路港に停泊していたウリヤノフスク級原子力空母“ミーチャ”内での会談の一週間後、オマンコーノフは、モスクワからソ連時代に打ち上げられた人工衛星を利用した秘密回線を通じて7人の知事たちに向けて話かけている。
「良いですか。考えても見てください。なぜ、我々が東北新幹線を爆破しなくてはいけないのか。それは移動手段を経つという戦略的破壊行動に留まりません――あなた方は考えたことはありませんか?なぜ、東北だけが未だに『新幹線』が運行されているのか。全国にはすでに第二新幹線――つまりリニアレールラインが運行されているにもかかわらず、あなた方の土地ではいまだに老朽化した『やまびこ』や『つばさ』や『はやて』が走っている。これは東北と言う土地に対する侮辱ではありませんか?東北新幹線が未だに運行されているという事実は、東北が『捨て置かれた土地』と捉えられていることの表れであるように私は思うのです」


 首相官邸内部が一気に慌しくなる。寝耳に水の出来事のあまり、総理大臣、木村拓哉は落ち着いて椅子に座っていることすらできない。爆破から3分後、東北7県そして北海道の自衛隊基地と警察署、あらゆる治安維持に関する公的機関に対して状況報告をおこなうよう、総理大臣と防衛庁長官から命令が出ていた。今も有事の際にだけ解放される官邸地下シェルターの通信室から北に向けて無線が飛んでいた――応答を求めるよう通信士が無線機のマイクに語り始めてから既に1時間近くが経過していた。


 しかし、応答はない。


 そのとき、すでに東北7県そして北海道の自衛隊基地と警察署、あらゆる治安維持に関する公的機関はすべて制圧されていたのだ。元ロシア軍女准将、アナ=ルの部下たちの手によって。
 制圧作戦はアナ=ルが絶大な信頼を寄せていた兵士の指揮によるものだった。「湿った眼をした男」と呼ばれるその男は、作戦開始前、各地に散らばった部下に向けてこう言い放つ。
「60秒。60秒ですべてを片付けろ」
 そして作戦は開始される。各地の基地、警察署の上空2万メートルに浮かぶ気球、戦闘機と違ってあまりに動きがゆっくりなため、レーダーにも映らない小型気球から「湿った眼をした男」が率いるチームC――チーム“コッポラ”――の工作員たちが次々に地上へと降下した。着地から5秒。工作員たちが建物の内部へと潜入する。15秒。東北7県、そして北海道での自衛官・警察官の被害者あわせて15人。30秒。被害者の数は150人に膨れ上がる。45秒。さらに増える、500人。60秒。被害者は1000人を超えた。チームCに残された仕事は残された生存者をゆっくりと始末するだけになる。すでに指揮系統は完全に奪われた。残りの仕事は片足のない仔猫を捕まえるぐらい簡単なものだった。
「湿った眼をした男から、麗しき元女准将へ。こちらはすでに作戦を完了している」


 無人となった施設のなかで、虚しく通信機のコール音だけが鳴り響いている。


 歴史は徐々にスピードをあげて回転し始めている。


 だが、東北7県、そして北海道の住民たちはこの突然の出来事にどう応じたのだろうか。1ヶ月前の釧路港での会談の後にスタートした「計画」に驚きはしなかっただろうか。北日本連邦の独立を彼らは電波ジャック放送によって知っている。突然の独立宣言をどのように受け止めたのだろうか。問題はおこらなかったのか?
「独立と言ったって……住民たちの意向はどうなるんでしょうか」
 宮城県知事、上野俊哉はオマンコーノフに訊ねた。
「心配はありません。あなた方と出会う数年前から、私は各地の青年会に『広告塔』を送り込んでいます。皆優秀な男たちです。彼らのおかげで独立が起きても、誰も不思議には思わない。むしろ、自分たちの望みが実現されたように受け取ることになっています。まぁ、見ていてください」
 オマンコーノフの言葉に7人の知事たちは戦慄した――この男は、自分たちが計画に同意する前からとっくに計画をはじめていたのだ。
「知事、各地から電報がたくさんの電報、FAX、Eメールが届いています。内容はすべて『独立万歳!』です。一体なんのことでしょう?」
 県庁職員からの電話で青森県知事、田中義剛はオマンコーノフが派遣した「広告塔」たちの活躍を知る。他の知事たちにも同じような連絡が入っていた。勤務中の県庁職員たちはまだ北日本連邦の独立宣言を知らない。
「そういうことになったんだ。君たちは今までどおり仕事してくれれば良い」
 田中はそう言って電話を切った。
 その晩、北海道ではよさこいが、青森ではねぷたが、秋田では竿燈が、岩手では奥州藤原氏を祭った山車が、山形では花笠が、宮城では七夕飾りが、福島では大わらじが……独立を祝うため街に現れていた。各地では花火も打ち上げられ、地酒なども無料で振舞われるほどの大盤振る舞い。無礼講。飲めや、歌えの大騒ぎ。
 その晩の祭は、観光のため商業的に開催された祭とは意味が違っていた。彼らが彼らの独立を祝う、本当の意味での祝祭がそこにはあったのだ。
 しかし、彼らはその裏で夥しい血が流されていることを知らされていない。それについては誰も想像力が及ばなかった――かつてロシアにも多大な信者を抱えていた日本の某新興宗教が研究開発したマインドコントロール技術を引き継いだ「広告塔」たちによって問題はすでに解消されてしまっていたのだ。


「じゃーんけん、ホイ!」
 7人の県知事たちは次の日、全世界に向けて二度目の(正式な)独立宣言を行うことになっていた。仙台一番町に立てられた高層ビルに終結した7人の男たちによって、オマンコーノフが用意した宣言の原稿を今度は誰が読み上げるのかを決めるじゃんけんが続けられている。
「あいこで、しょ!」
 勝負はなかなか決まらない。そのうちに夜の色は深くなっていった。