闇夜(やみよる)28

 おはよう。
 こんにちは。
 おやすみ。
 さようなら。
 ありがとう。
 それは、ただの挨拶。Just a 挨拶。誰でもする挨拶。愛する人に、友達に、好きでもない人に、送る言葉。声をかけるその行為そのものによって、それぞれの宇宙を流れる星は一瞬でもお互いを認識できる。真っ暗な孤独の中では、それですら充分に救いになる。だが、俺はもはや挨拶をする人間を一人も失ってしまったらしい。いつからか、こうなった。これは俺の望んだことのはずだった。何も悲しくはない、そうだろう。そういうことなのだろう。考えないようにしているが、俺はおそらく同性愛者なのだと思う。思い出すのも嫌になるが、小学生のとき、あの修学旅行の夜、最悪な形でそのことは露呈してしまった。
 全員が俺を蔑み遠ざける中、綾香だけは俺の友達でいてくれた。俺はそれから綾香のことは少しだけ信頼していた。バスケ部の試合の応援で、興奮しすぎた綾香が拡声器で「オジャパメン」を23分間熱唱し続けたせいで、東中のスケ番貴族、梅宮登志子に目をつけられてヤキを入れられそうになったときもオヤジの部下を使って、こっそり助けてあげた。
 でも、今は少し気まずくなってしまった。カンチは、明確に俺から綾香を遠ざけようとしている。なぜだかわからないが、カンチは俺達のチームの犯罪行為をそれなりに知っているようだ。そして、俺達を憎みきっている。俺達のことも、どうにか処分したいが、おそらく奴は「それどころじゃない」のだろう。俺達チンピラのチンケな犯罪に関わってるような暇はないから、仕方なく黙認しているが、俺のことは周到に綾香から遠ざけようとしている。
 だがそれは、俺にとっても都合がいいことでもある。卍LINEを吸収してから俺達のチーム、始皇帝はずいぶん変わっちまった。卍LINEから流れてきた連中、あいつらは本物のワルだった。卍LINEシノギにしてた少女売春と大麻及び覚せい剤の売買は俺達に莫大な利益をもたらした。それとともに、ただたむろして楽しくやっていただけのはずの俺達は犬山組に、売り上げの40%を上納しなくてはいけなくなった。これじゃあ、ただのヤクザ予備軍だ。クソ。しかしオヤジの力を使えば、もっとめんどくさい事態になりかねない。問題が山済みだった。とにかく、そんなことになった俺は綾香みたいにまっとうな世界に生きる人間から離れたほうがいいのだろうと思う。カンチも俺がそう思っていることを感じているはずだった。



 そんなことを考えながら、レン・イーモウは鳥取第一体育館に向かって、大きな体を左右に揺らし、腿ずれを気にしながら歩いている。また、同時に始皇帝の当面の問題である、チーム一の俊足で白鳥公園にて大麻の販売要員をしていたアクシズ野田が真っ青な中世ヨーロッパ風の鎧を来た巨体の男によって殺されたこと、についても考えを及ばせている。バットマンがいなくなったら、ロビンマスクが現れた。バットマンは子供を殺しはしなかったがロビンマスクは完全に狂っている。アクシズ野田は全身数十箇所を拳で殴られ体中の骨が粉砕骨折していた。撲殺された遺体はとても直視できるような状態ではなかった。「あの変態は俺達を狙っているのか?しかし…」レンはわからないことを考えるのはやめた。
 レンは考えを切り替えるのが早い。鳥取第一体育館の入り口でチケットをモギリのお姉ちゃん−真木よう子似の美人−に切ってもらってからは、彼の頭は今日のイベントでいっぱいになった。EWH、アースウィンド&ハラキリと名乗るプロレス団体。今日はEWHのエースでありエルボードロップを得意とする三沢信長の特別試合が開催されるのだ。朝鮮併合時に追い詰められやけっぱちになって、キム・ホクホク総書記が発射したノドンテポドン全部盛り東京大爆撃とそれによって生じた関東地獄地震によって本土から切り離された千葉島。千葉島のプロレスラーが鳥取に来るのは初めてだった。去年まで千葉島は東京自治区としか国交がなく、千葉島の人間が新宿より西部に出かけるにはパスポートが必要だったからだ。今日は千葉島から来た毒霧の使い手マイク下田と三沢信長の60分一本勝負が行われる。興奮しきっていたレンは席につくなり「あー、やべー。ちびりそうだぜ」と、ひとり言を口にした。