闇夜(やみよる)3

 バイクチーム「婆逝句麺」のキクリンこと菊池凛子鳥取駅南口のトスク駐車場で盗んだヤマハを駆って福井県の西ナントカってところまでツーリングに行ったきり行方不明になったのを私はガソリンスタンド「イヤー・オブ・ザ・ドラゴン」の店長から教えられた。
 「イヤー・オブ・ザ・ドラゴン」は私のバイト先で、似非ブルース・リー信者の店長が「ドラゴン」と付いているだけでブルース・リー主演作と勘違いして命名した恥ずかしいというか引っ込みがつかなくなったというか可哀想なほど馬鹿な店。「東洋一巨大なブルース・リーチャック・ノリスの看板が目印!」と市内で大々的に宣伝しているけれど、その看板で凛々しくポーズをキメているのだってブルース・リャンと倉田保昭だからバイトに行くたびに泣きたくなる。
 泣きたくなるけど辞めないのは一時間に一台くらいしか客が来ない上にセルフ給油でやることがなく暇だから。知り合いだって隣のクラスのカネダとヤマガタが毎週金曜日に峠を攻める前に立ち寄るくらい。私はカネダとヤマガタが来るときはトイレに隠れてやり過ごしてる。
「真っ二つになったヤマハだけが天神川河口と東郷池の東岸に垂直に突き刺さった状態で見つかったんだって。女の子はまだ行方不明だって」
「へえ。そう」
 私はうわの空で返事をした。キクリンの失踪騒ぎは今に始まったことじゃない。試験前になると起こる熱病みたいなもの。原因はよくわからないけれど。今、私の気がかりはバットマン。私が気のない返事をすると、店長はオネエ言葉になる。本当に気持ち悪い。私の気持ちを取り繕うとする下心が丸見えなんだもん。
「ちょっとー冷たいんじゃないの?同じクラスの子でしょう?真っ二つっていってもあれよ。前後じゃないの。左右ていうの?縦に真っ二つに裂かれてたんだって」
「別に。話したことないし」
 口調に私は騙されない。店長がニコラス・ケイジみたいな湿った目で私の86/58/85を虎視眈々と狙っているのにはとっくの昔にガール本能で気付いている。あの湿った目が武器だと勘違いしている。大昔に「オレが蛇皮のジャケットを着ているのは自由のシンボルだ!」とあの湿った目の下にくっついている口で言って一度だけナンパに成功してから狙った獲物にはあのニコラス・ケイジの目をするというのが町中の噂。
 私はほんとにキクリンなんてどうでもいいんだ。無愛想で気取ってるから。こないだだって休み時間に気をつかって声を掛けたのに机の上に広げた『航空ファン』の「レシプロ戦闘機特集」から目を離さずに「何度も自殺に失敗。ほんと、生きているのが嫌になるくらい」と笑うだけだった。天誅にでも遭えばいい。それって天罰っていうの?よくわかんない。学校だってサボり気味で存在感もないから誰も気にしていないし、「婆逝句麺」だってメンバーはキクリン一人だけだから誰も困らない。
 突然、スカートに突っ込んだ携帯が鳴った。マナーモードが私の酸性雨をも弾く無敵ぴちぴち太ももをプルプルププププププププと揺らす。背面液晶で時刻と相手を確認。「19:32 オズマ」オズマは本名東君。野球特待生で入学してきたけれどバッティングもピッチングもまるで駄目で、性格も地味で、みんなに名前を忘れられ色黒を理由に付いたあだ名がオズマ。
「オズマどうしたの?」
「学校に…校庭に……」オズマ慌ててる。オズマが言葉を終える前に私は何かが起こったと直感する。
「バ、バットマンが!」
 私はニコラス店長の原付を無断拝借して学校へ向かう。原付を運転するのは初めてだったけれどきゅるきゅきゅきゅと後輪でアスファルトにタイヤ痕と焦げた匂いを残しながら発進してノンストップで学校に到着。信号があったかなんて運転に夢中で覚えてない。校庭は人の山で近づけそうにないので、私は裏手に回り原付を乗り捨て第二校舎の非常階段をシュタタタと屋上まで一気に駆け上り鉄柵をガシっと掴んで安全を確保して身を乗り出し前転一歩手前のポーズで校庭を見下ろす。
 校庭を埋め尽くす巨大なコウモリがいた。学校中のコクヨ製机で形作られたコウモリマーク。コウモリの真ん中には全裸のキクリンが縛り付けられていた。あのコ無愛想だけど陰毛は奔放に生い茂っていたのでやるじゃんキクリンと私は見直す。私は頭がざわざわし始めていた。なんでバットマンがわざわざ私の学校の机を運び出してコウモリマークをつくるわけ?携帯がプルプルプププププと私を揺らす。「20:10 ニコラス」
「今、店にバットマンが…」私はまた何かを直感する。
「ちょっと店長タイーム!」
 私は第二校舎屋上を校庭とは逆方向、「イヤー・オブ・ザ・ドラゴン」のある東北東へと駆け出す。トリニティのような軽快なフットワークで貯水槽を支える鉄脚の下をくぐり抜け、生物部がなにかを育てている白いプランターを飛び越え、スピードを緩めることなく屋上の東北東の鉄柵に着いた。
「はいタイム終わり!続きどうぞ」
「今、店にバットマンが来てるぞ。映画とそっくりの黒装束だ。バットモービルにレギュラーガソリンをセルフ給油して現金精算してる。お客さん、どうもあーしたー!うぎゃああああああぁぁ。ツーッツーッツーッ…」
 店長の悲鳴の残響を残して電話は途切れ「イヤー・オブ・ザ・ドラゴン」のあるあたりの暗闇から十字架型の爆炎があがり周囲を一瞬だけ昼間に変えた。数秒後に爆音。ずどどどどどどおん。私はなにかが起こり始めているのを学校の屋上で知った。なにか大きなこと。まだそれがなにかはわからないけれど。
 カンチが私の学校へ転校してきたのは次の日のことだった。