闇夜(やみよる)40

 犬川隼人は、女を物色している。それは毎日続いた。男の、日課だった。男は東京メトロ渋谷駅銀座線ホームと男子トイレを清掃する仕事をしている。自分を恥じている。本当の俺ではない、と思う。本当の俺を発揮せねば、と思う。本当の俺は世界を動かしうる存在なのだ、と思っている。40を過ぎたころ、男は、あきらめる。認める。自分は敗北者なのだと、知る。知った、と思う。犬川の血筋に、夢(それがなんなのかは犬川自身にもわからないのだが)を託さねばならぬ、と至る。俺にふさわしい、犬川の名にふさわしい女を捜さねばならぬ、と、男は、至る。
 それから犬川の女探しがはじまる。犬川は東急田園都市線を使って出勤している。仕事は7時に始まり、16時に終わる。仕事が終わるとスターバックスで18時まで時間を潰し、電車に乗る。
 冬のある日、犬川は「これだ!」と自身が感ずる女に出くわす。年のこうは三十くらいであろうか、強いまなざしをしていた。女は化粧をせず、凛とした雰囲気を漂わせて、すでに真っ暗な外の景色を見据えていた。伸ばしっぱなしの髪と、うっすらひげが生えた口元と、フェイクファーをつけた真っ黒のダウンジャケットと、ダメージジーンズと、大きな鷲鼻に男は、確信する。
「おい」
 と声をかけると、梶ヶ谷にある家賃8万の女のマンションで四度交わった。表札には今井と書かれてあった。
「くそ、くそ、くそ、くそ、俺の、未来は、俺の未来が、未来が、発射する!!!!」
 と言って女の女陰に四度射精した。女の妊娠がわかると、最初の十ヶ月は手当てだと言って毎月三万渡していたが、その後は、面倒になり、やめた。
 犬川はその女との関係を運命だと信じていたが、実際は、怪しい。犬川は週に一度のペースでいろんな「運命の女」たちに声をかけていたが、毎回、その行為(要するにただのナンパだ)は失敗していたからだ。そればかりか、犬川は、声をかけた女に断られると、家におしかけたり、道端でその女を強姦することすらあった。犬川はたった一度のナンパの成功のあと、三年たって、婦女暴行で逮捕され週刊誌を、ほんのわずかな期間にぎわかすことになり、収容された刑務所で、労働中に怪我をして破傷風に感染し、あっけなく死ぬ。微笑を浮かべたまま死ぬ。確信を抱き続け死ぬ。
 ただ、ともかく、鷲鼻の女は、黒いダウンジャケットの女は、今井里子は、犬川隼人を受け入れた。そして子を産んだ。一人で育てた。名を今井絵理子と言う。絵里子は母が犬川を受け入れたのと同じ二十九の年に、突然、運命を知る。奇しくも渋谷の、顔も知らない、存在すら意識したことのない、父親が毎日時間を潰しながら眺めた渋谷の交差点で自らの運命を知り、大声で叫ぶ。
「あーちゃん!!!!!!」